クロガネ・ジェネシス
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第ニ章 アルテノス蹂 躙
第51話 未来への誓い
1人の少女がいる。
彼女は自分以外に誰もいない丘の上で、大木に背を預けている。
ただ、ボーっと、虚空を眺め、晴れ渡った空を見上げている。
何かが始まりそうな予感がする。そう、今日この瞬間から見る未来はきっと今までとは違った人生になるに違いない。そんな予感をさせる空の下、彼女は1人の少年を見つけた。
彼はお互いに表情がわかり合うほどの距離を保ったまま、唇を動かした。
『俺、お前の気持ちに、応えたいと思う。お前の思いを、受け止めたいと思う!』
『一緒に……歩もうぜ。これからの人生をさ……。お前と一緒でありたいんだ』
その言葉が嬉しかった。少女は立ち上がり、その人の元へ駆け出す。自分の思いに応えたいと言ってくれた愛しい人の元へ。
そこで火乃木は目を覚ました。
あの戦いから2日目。
「……?」
火乃木はゆっくりと体を起こす。細い体を覆うのは白を基調としたパジャマだ。
ここが自分の部屋だと理解するのに数秒とかからない。
外から日の光が差し込んできている。
いつもならアルトネールと共に、食事の準備をしているはずだ。しかし、今はそんな気はしない。
彼女はもう一度、深々とベッドに身を横たえた。
『一緒に……歩もうぜ。これからの人生をさ……。お前と一緒でありたいんだ』
それは一番聞きたかったはずの、一番大好きな人の言葉だった。
とても嬉しかった。胸がドキドキした。昨日、あんな事件が起こらなければ、きっと自分はその告白を受け止めていた。
それなのに……。
「嬉しい……はずなのにな……」
零児はアルテノスの町を、セルガーナ・シェヴァと共に見て回っていた。
昨日まであった町の姿は皆一様に変貌を遂げている。
どこを見ても瓦礫《がれき》の山が広がっており、大地が焼けた跡がこれでもかというくらい分かる。
特に目を引くのが、巨大な竜《ドラゴン》の亜人、シーディスの死体だ。今はまだいいが、時が経てば腐臭を放つようになる。アルテノスはまだ夏だ。この巨体が腐り始めたらと思うとぞっとする。
零児は思う。
――これが……蹂躙《じゅうりん》されたってことか……。
この復興にどれだけの時間がかかることだろう。
どれだけの命が失われたことだろう。
レジー達を倒したのは自分達だ。しかし、ここからの復興はアルテノスの人達の戦いとなる。自分にできることは何があるだろうか?
「酷いものだ……」
不意に、そうポツリと呟いた。そんな言葉しか出てこない。
このまま見ていても胸が痛むばかりだ。
零児はアルテノスを一通り見て回った後、1度屋敷に戻ることにした。
「あいつは……」
屋敷の玄関の前。そこに誰かいる。徐々に近づいていくその人物は白き狼の亜人、バゼルだった。
零児はバゼルの前でシェヴァを着地させて、自身も大地に降り立つ。
「朝から空の散歩か?」
「散歩って気分ではなかったんだけどさ……。ただ、あの惨状が、日の光に照らされると、どんな風に見えるのかと思ったんだ……」
「気分はどうだ?」
零児は腕組みをして壁に背を預ける。
「いいわけねえさ……」
「だろうな……同感だ」
バゼルも零児と同様、屋敷の壁に背を預けた。
「昨日は大変だっただろう?」
「ああ、流石にな。インタビューはもう御免だよ……」
零児はあの戦いで、主犯であるレジーを倒した男として、アルテノス中にその名が知れ渡ってしまっていた。
昨日の新聞でも、今回の事件のことが報道されると同時に、零児は一日中新聞記者に付きまとわれることとなった。
今回の戦いに参加した経緯やら、どうやって雷災龍《レイジンガ》の亜人を倒したのかまで、根ほり葉ほり聞かれた。
そのため、零児の名前はアルテノス中に知られることになり、英雄とまで呼ばれるようになった。零児自身はそのことに対しあまり嬉しくはないようだが。
「他のみんなはどうなった?」
「気になるか?」
「まあな」
バゼルはあの戦いに関わった、アルトネールやギンがどうなったのかを話し始めた。本当は昨日の時点で負傷したギンやシャロン達のことが気になっていた。
「バゼルとシャロンは魔術医療師の手によって手術を受けた。どちらも、一命は取り留め、今義足と義手を用意するそうだ。ユウも浅くはない傷を負って入院中だ。退院まではしばらくかかるそうだ。で、俺とネルは打撲のダメージはあるが、動くのには問題ないので入院はしなかった……」
――本当に……よく生き残れたもんだぜ……俺達……。
あの戦いの後だと、生きていることそのものが夢なのではないかと思えてくる。
実は現実は死によって覚める夢なのであって、本当の自分はどこか別の所で、今生きている自分を演じているだけなのではないか。
――……? 何を考えているんだ俺は……?
しかし、そう思わずにはいられないほどに、あの戦いは「死」が近かった。自分の脳が麻痺して、現実と虚構の区別がどんどん曖昧になっていった。そんな感覚があったからこそ、零児は今生きていることそのものに、現実感の喪失を感じていた。
「アルトネールとアマロリットとアーネスカの3人は今アルテノス中を飛び回っている。我ら亜人の人権を守るためにな」
「アーネスカもか?」
「ああ」
アーネスカとて右腕を骨折するという重傷を負っていたはず。あの戦いからまだ1日しか経っていない。にも関わらず、アルトネールやアマロリットと活動をしているという。
「本人が望んだことだ。あいつは『レジーとの戦いはまだ終わっていない』と言っていた。恐らく、奴が残した爪跡との戦いという意味なのだろう。まったく、元気なお嬢様だよ……」
「2人は反対しなかったのか?」
2人とはアルトネールとアマロリットのことだ。
「2人とも、アーネスカ本人が望むのなら……という態度で一貫していた。アーネスカにとって、治療に専念して休むことよりも、姉妹3人で、今回の戦いにケリをつけることの方が重要なのだろう。しばらくは会えないと思ったほうがいい」
「そうか……。ところで、亜人の人権を守るためにってのは、どういうことだ?」
大体どういうことなのかは零児にも予想はついていた。これだけの惨劇を引き起こした亜人。そうなれば、亜人の立場がどうなるのか、それを考えることは単純で、予想することは容易だった。
「お前も知っての通り、アルテノスで亜人を擁護している貴族はグリネイド家の3人と、彼女らと親交のある少数の貴族だけだ。今回の事件で、亜人の立場は酷く悪くなった。亜人など、やはり受け入れるべきではなかったと、な」
「誰がそんなこといってるんだ?」
バゼルに言っても仕方がないことは分かっている。それでも零児は怒気をはらんだ口調で言う。
「俺達、亜人の存在をよしとしない人間達だ。世論は3:7で割れている」
「これから、どうなるんだ?」
「わからん。アルトネールとアマロリット次第だな。2人の声に、どれだけの人間が耳を傾けるのかにもかかっている」
「3:7……か」
無論、3は亜人養護派で、7は亜人否定派の世論で間違いないだろう。
人間の手によって凶悪な亜人が倒された、亜人を叩きたい人間にとってはこれほど美味しい情報もない。つまり、亜人であるということはこの国に住むことが出来なくなる可能性を指し示している。
「今回の戦いで、亜人否定派はかなり活気づいてきている。ひょっとしたら、追い出されることになるかもな……」
そういうバゼルはあまり浮かない表情をしている。当たり前といえば当たり前ではあるが。
「だが、悪い話しばかりではない。レジーとの戦いを間近で見ていた人間達の中にも、何人かの貴族がいる。彼らの中には亜人への偏見を改め、亜人を養護する側に回ってくれた者達もいる。今後俺達亜人がどうなるのかは、見当もつかんさ……」
「そうか……ところで、火乃木は?」
「部屋にいる。今は誰とも会いたくないのだそうだ」
「なんでまた?」
「本人に聞け」
「そうする」
零児はそう短く答えた。
「ところで、俺も聞きたいことがある」
「なんだ?」
「お前は、どうやってレジーの不死の秘密をに気づいたんだ?」
「別に、俺が自力で気づいた訳じゃないさ。レジーに吹っ飛ばされたあの時、俺のことを助けてくれて、治療してくれた人がいた。その人が教えてくれたのさ。だからあの後も、俺は戦うことができた」
「その人……?」
「この国における、最高位の人形師さ」
「なに? お前それは……」
バゼルの言葉はそれ以上は続かなかった。2人の会話の間に割って入ってきた者がいたからである。
玄関となる扉を開いて、ネルが現れたのだ。
「あ、クロガネ君!」
「ネル……」
ネルはいつものような戦闘用の服装と違って、太ももまではっきり見えるカットジーンズと黒のポロシャツという格好だった。
「これから医療院に行って、シャロンちゃん達のお見舞いに行こうと思うんだけど、クロガネ君も一緒に行かない?」
「そうだな、行こう。バゼル、またな!」
「あ、ああ……」
バゼルはその場に残し、零児とネルはシェヴァに乗って大空へと舞った。
零児とネルは負傷した仲間達と顔を合わせるべく、教会医療院を訪れていた。早い話が病院だ。
もっともただの病院という訳ではない。教会医療院の名の通り、教会としての役割も兼ね備えている。毎年行われる武大会で戦う戦士達が祈りを捧げる場所であり、死者の埋葬を行う場所でもある。そのためかなり大きい。
普通の医療院では、壁の色は殺風景な白であることが多い。ここもその例に倣《なら》い、壁の色は白かった。
「おう……お前か……」
顔を合わせるなり、ギンはいきなりそんなことを口にした。
「お見舞いにきた奴に対してそりゃねえんじゃねぇか?」
「俺はヤローはお呼びじゃねぇのさ」
「ネルもいるんだが……」
「おっとそうだな、相変わらず健康そうな太ももしてやがるな」
ネルは顔をしかめてため息をつく。
「相変わらずだね……」
「まあ、いいさ」
両足と左手を失ってなおこんな口がきけるので、2人は全然コイツは平気なのだと解釈することにした。
「義手とかの用意はどうなってるんだ?」
「傷口が完全に塞がり次第、作るんだとよ。これからの生活、面倒くさそうだぜ」
「……」
口の減らなさは相変わらずにしても、流石に四肢の一部を失ったことに対してなんといっていいのかわからない。2人は思わず口を閉じる。
「ま、こうしてしゃべることや生きることは出来てる。それだけでも俺は満足することにするさ。何せ、あの雷災龍《レイジンガ》の亜人が相手だったわけだからな……」
「そうだな……そうかもしれないな……」
恐らく、ギンの負傷は今回の戦いの中でもっとも大きい。しかし、死者も同時にたくさん出ている。ギンの様に生きることが出来ている分、まだマシなのかもしれない。
「俺は同情されるのが苦手だ。さっさとシャロンやユウの所に行ってやれ。辛気くせぇのは勘弁願いたいからな」
「そうか……じゃあ、お大事にな」
「おう」
零児とネルはギンの病室を後にして、シャロンとユウがいる病室に向かった。2人の部屋は相部屋だった。
零児は扉をノックした後に病室に入った。
「あ、クロガネさん! ネルさん!」
「……!」
ユウが元気そうに声を上げる。シャロンは無表情のままだ。2人とも白い清潔な患者用のパジャマを着ている。
「元気そうだな」
「ええ、なんとか」
ニカっと笑うユウ。シャロンは無表情で2人に視線を送る。
「2人とも怪我はどうだ?」
「私はお腹を刺されただけですので、大したことないのですが……」
ユウはシャロンの両足に目を向けた。シャロンの表情が沈む。葬式のような神妙で、なんともいえない空気が流れる。
シャロンの両足はギン同様失われていた。
「私があいつを止めることが出来ていれば……」
ネルは悔しそうに歯噛みをした。
「いや、俺がグズグズしていたからだ。あんな状況なのに、俺は自分のことしか考えていなかった! 俺がしっかりしていれば……!」
「あの状況なら仕方がないよ。誰だってショックを受けるに決まってる……!」
「だが、それでも俺は……俺が許せない……!」
零児は今にして思う。あの時、零児の心を襲ったショックは、単に死を目の前で見たことによるショックだったのかと。
――あの時俺は……どんな感情を感じた?
何か失われてはならない、それでいてどんな人間でも持っているはずの感情。それが零児の心の奥底で叫んでいたような気がしてならない。
そして、結局、エメリスは何者だったのか。今となってはそれを知る術はない。彼女を救えなかったことに対する後悔の念が零児の心に影を落としている。
「ねぇ、レイジ」
「なんだ?」
零児は目線をシャロンに合わせる。それはきちんと話を聞くという姿勢だ。
「私……もう……戦えない……」
「シャロン……」
頭を抱えて、顔を鎮める。頭痛に耐えているかのように、体を丸くする。
「私……もう……怖い……。もう……戦いたく……ない……」
「そう、か……」
まだ、身も心も幼いのに、両足を失ったシャロン。シャロンの目にレジーの雷撃はどのように映ったのだろう。そう思うと、胸が締め付けられた。
「無理に戦う必要はない……。シャロン、ゆっくり休んで、自分に出来ることをしていけばいいさ……」
「うん……うん……」
シャロンは小さく首を振った。彼女の体がフルフル震えている。レジーとの戦いで植えつけられた恐怖。それを払拭するのはとても時間がかかることだろう。だが、零児はそれでいいと思った。これから復興に向かっていくアルテノスで、ゆっくりと生きてくれたのなら、それでいいと思った。
――お前と出会ってもう2ヶ月は経つか……。その間、俺はお前に何をしてやれた? 俺と共にいなければ、シャロンはこんな目にあわずに済んだ?
――過程の話でしかないからわからない。だけど、シャロン。お前がここにいることで幸せになる糸口を見つけられるなら、せめて……。
「シャロン、これは俺からの、たった一つのお願いだ……」
「……?」
「幸せに……なってくれ……!」
「……!!」
それを聞いて、シャロンは涙をこらえきれなくなり、無言のまま泣き始めた。
その日の夜。
大量に人形が並んでいるとある部屋。
人型の人形ばかりがところ狭しと並べられた不気味な部屋だ。その中で、1人の女性がベッドの上に横たわる人形に話しかけている。
その人形とはアールのことだ。
「すまないね。あんたに尻拭いさせることになってしまって」
「構いません。私は貴方の手によって生まれた人形。主の為に戦うのは当然の勤め……」
「その考え方には頭を下げるしかないね」
アイスブルーでショートカットなその女性は、アールの失われた右腕と肩部を縫合している。
「アール、鉄零児《くろがねれいじ》という人間と、レジーという亜人を通して、人間と亜人に対してお前が抱いた感想を率直に教えてくれないか?」
「身体能力や亜人特有の能力を考慮に入れなければ、どちらも基本的には同じではないかと思います。ただ、人間は弱いからこそ、己を高める努力をする。そういう生き物だと感じました」
「まあ、その通りだわね」
女性はアールの右肩と右腕の縫合を終わらせ、ゆったりとした足取りで窓から覗く月を見た。
「ここでの商売も、もう潮時かな?」
最高位の人形師と謳われる女性は、昔治療した亜人のことを思い出していた。
「副次的に与える形になってしまった仮初めの不死……今後は治療の仕方を変えないとね。またこんな事件を起こされてはたまったもんじゃない」
シャロンとユウのお見舞いもそこそこに、零児とネルはアルトネールとアマロリット、アーネスカに顔を見せようと思った。
しかし、バゼルの言うとおり、彼女達は今、かなり多忙のようで、会うことは出来なかった。彼女達は亜人守るために、今も戦っているのだ。零児やネルにはできない戦いだ。それについては2人に任せるしかない。
それ以外で零児が気になっていたのは火乃木のことだった。
今彼は、火乃木の部屋の前にいた。
火乃木はあれから部屋に籠もったままだ。その真意を問いただそう思ったのだ。
零児が火乃木に対して告白したことが原因なのか、それとも他に理由があるのかはわからない。しかし、このままなんの話し合いもしないまま黙っているわけには行かない。
「火乃木」
コンコンとノックをする。中から反応はない。
「入るぞ?」
零児は鍵穴に、鍵を差し込む。合鍵だ。執事のベンを通して拝借したものだった。結果扉はあっさりと開き、零児を招き入れた。
その中で、窓ガラスから見える月を黙って眺める火乃木を見た。
「火乃木……」
「……レイちゃん……」
互いに何を話せばいいのかわからない。零児自身、何を話すべきか考えてこなかったことにいまさら気づいた。
「なに、してるんだ?」
「月を見てた……」
零児は魔光のスイッチを入れ、部屋に電気をつける。
「うわっ!」
火乃木は手で目を覆い、光を防ぐ突然明るくなったら誰だってそうなる。
「どうしたの?」
火乃木の声には力がない。どこか元気がない。それだけははっきりと伝わってくる。
零児は無言で火乃木のベッドに座る。
「何かあったのか?」
あったといえばあった。零児は無言で彼女に戦力外通告をしたのだ。そのことでひょっとしたら嫌われたのかもしれないとも思った。それとも、火乃木自身が自分の無力さに耐えかねてしまったのか。いずれにしても火乃木の心に影を落とす要素は十分にあるといえた。しかし、彼女の口から出てきた言葉は意外なものだった。
「ボクは……亜人だから……」
「火乃木……?」
「人間と一緒には暮らせないのかなって……思っちゃって……」
零児と火乃木は義父のカイルに拾われた時からずっと一緒に育った。その時点で火乃木は自分が亜人であることは自覚していたし、それでも一緒に明るく生きてきた。そんな火乃木からこんな言葉が出てくるなんて予想だしていなかった。
「亜人ってさ、人間を憎むことが本能なんだって……。そんなこと……知らなかったし、ショックだった……」
「だから引きこもってたのか?」
黙ってうなずく火乃木。亜人と人間。その関係が今後どうなっていくのかはわからない。今の火乃木の言ったことが本当なら確かに人間と亜人は一緒に暮らせないのだと思ってしまっても不思議ではない。
「ボクね……あの時、ほんのちょっとだけ、人間を憎む感情が出てきたの。本能的に、無性にイライラして、胸が痛かった……」
「……」
「あんな感情を……みんなに……レイちゃんに向けたくない!」
「……火乃木」
「え?」
零児は火乃木に自分の顔を近づける。
「わっ、ちょちょ、何を……!?」
そして火乃木の肩に両手を乗せる。
「目を逸らすな!」
「……!」
火乃木の喉が動いたのを、零児は見逃さない。
「今、この状況でも、俺のことが憎いか? 今イライラしてるか?」
静かに火乃木は首を横に振る。
「なら、大丈夫だろ。お前はそんな得体の知れない感情や本能に飲み込まれるほど、弱くないはずだ!」
「わかんないよ……そんなの……。ボクにもわかんないんだよ……」
火乃木の瞳から涙がうっすらと浮かぶ。
「レイちゃんがさ、ああやって言ってくれた時、凄く嬉しかった……。涙が出るくらい嬉しかった。でも、自分がわからないの……。自分の心が、自分の体が、自分のものではないあの感じがぶり返してきたら……ボ、ボク……レイちゃんのこと……」
「火乃木……俺は……お前がどんな感情を抱いたとしても、お前と共にありたいと願う……。いいか! 1度しか言わないから、良く聞けよ……」
「……?」
――そうだ俺の傍には、常に火乃木がいてくれた。俺は自分でも知らない間に惹かれていたんだ。もう目を背けない。亜人だからどうこうじゃない! 火乃木だからこそ、俺は……!
「お前が好きだから……俺は、お前の全てを受け入れる! お前と一緒に生きたいんだ! この先どんなことがあっても、どんな状況に陥っても、お前と共にあり続けたい!」
「レイ……ちゃん」
「だから……寂しいこと言うなよ。お前が亜人でも人間でも、俺の気持ちは変わらないから!」
それは零児の偽らざる思い。いつからそうだったのかはわからない。ただ、今この感情にウソがないことだけは間違いなく本当だ。それでも火乃木が自分を拒否したら? 否、そんな過程の話をしても仕方がない。
「でも、ボク……レイちゃんを傷つけちゃうかも……しれないよ?」
「そうなっても、俺はお前を想い続ける!」
「ウソだよ……きっと、嫌われちゃうよ……!」
「火乃木、今までお前は、俺への想いを曲げなかった」
「……!!」
火乃木は息を呑む。零児が知る限り、火乃木は常に自分を見続けてくれていた。自惚れるわけではないが、そうであると思う火乃木は自分のことだけを今まで見続けてくれていたはずだ。
「俺がお前に、俺が今まで人を殺してきた過去を話したときも、お前はそんなの関係ないって言ってくれた!」
「あ……」
「だから……お前が人間に憎しみを抱くことになっても……俺はこの想いを曲げない! 俺は、お前が好きだから!!」
「……! ううう……」
火乃木の瞳から涙がこぼれ始めた。零児は火乃木の肩から手を離す。
「嬉しい……嬉しいよ……胸が……熱い……。ボ、ボクも……」
火乃木は零児の瞳をまっすぐに見据えた。
「レイちゃんが……好き、大好き!」
グリネイド家の屋敷はどの部屋にも個別にシャワーと風呂場が存在している。
火乃木はその浴槽に漬かっていた。そのすぐ後ろには零児もいる。
そう、2人は背中を向けて同じ湯船に入っているのだ。
「子供の頃を、思い出すね……」
「そ、そうだな……」
2人とも気恥ずかしそうに話す。声が残響して耳に痛い。背中を向け合っていたとしても、異性の背中が密着しているのだ。落ち着くわけがない。
「ドキドキする……いつからだったかな……レイちゃんのこと、男性として認識しはじめたの……」
「俺が知るわけないって……」
「クスッ……そうだよね……」
「あ、ああ……」
――ヤベェ……会話が続かねぇ……。なにしゃべりゃいい?
誰も応えてくれない状況下で、零児は自問自答する。一緒に風呂に入るという提案は火乃木がしたものだ。お互いに相思相愛だとしても、やはり気まずい雰囲気というのは存在するわけで、どちらかが何とか口を開いてもすぐに終わってしまう。
「あ、あのさ火乃木……」
「レイちゃん」
零児が何かを言おうとしたのに割り込む形で、火乃木は口を開いた。
「何も……言わないで」
「火乃木……?」
「こうやって……2人っきりの時間が……なんか……懐かしい……」
「……そうだな」
思えば、ルーセリアでアーネスカやネルと出会って以来、2人だけの時間なんてなかった。
「無理に話そうとしなくていいよ。レイちゃんが会話苦手なの……知ってるからさ」
「我ながら情けねぇ……」
「そんなことないよ。ただ、こうしているだけで、ボクは幸せだから」
「そうだな……俺も……幸せだ」
恐らくは誰にも邪魔されない空間における2人っきりの時間。今この瞬間が最高に愛おしいと零児は思う。2人はただひたすらにその幸福を噛み締めた。
きっといつまでも、こんな幸せは続かないと思うから。
翌朝。夜明けと共に、零児はシェヴァを駆り、空を飛んでいた。空の散歩だ。
地平線の向こうから上ってくる太陽が眩しい。まだ誰も起きていないこの時間、ある決意を胸に空を舞う。アルテノスの惨状を胸に刻みつけて。
「俺は、必ず、人間と亜人が幸せに暮らせる世界を作る! 俺は……俺達は自由だ! 誰にも縛られない! 間違った世界を、常識を、認識を……俺がぶち壊してやる! 俺達がぶち壊してやる! 例え、何年かかってでも!」
――火乃木と一緒なら、俺はいつまででも戦える!
「俺は止まらない! いつまでも走り続けてやる!」
――火乃木と共に!
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